ババヘラ。

もう、先々月の事になる。
時系列が入れ替わってしまい、前回のいなげやでアダムとイヴが列を乱す罪をおかす前、母の命日があり、墓参りをした。
墓参りは東京からざっと6時間強かかる。乗り継ぎ悪いと7時間とか8時間とかいく。
東京で誰かに狙われ「ここがお前の墓場だ。」と殺られてしまったら、いまだ伊藤姓を名乗る自分の墓場が分家(?)となり、それが片道6時間以上もかかる所に設けられてしまったら御先祖様へ申し訳がたたないので、秋田のお墓へ入りたいなら、なるべくは狙われない様に過ごす事が大事になってくる。

でも、アレですよ。『あの娘(コ)をねらってる。』的なそういうお話なら御先祖様も大歓迎でしょうから。ねえ。まあ、お好みの方がいらっしゃいましたらどうでしょう?真面目でマメな方がいいんですけどね。でもちょっと自分でもアレ?とあれしたもので、ひとつ提案があるとすればもしや、『あの娘(コ)をねらってる。』の『娘(コ)』の部分が気になる方が居ましたら、今回だけは『古(コ)』でもいいかな。と思ってはいます。
『あの古(コ)をねらってる。』やはりモテる秘訣は謙虚ではないかな?と思っているので、私、そう言われても別にいいですよ。
モテるのであれば、全然気にしません。どうぞ。どうぞ。新田さんや真剣佑さんや。
もう、私、伊藤家のお墓へは。。。

そんな訳で墓参りの移動には、往復10数時間かかるので実家に泊まるものだと思っていたが、母の命日での帰省の件で父とのやり取りがうまくいかず「帰ってくるな。」という流れになりこちらも「絶対に帰らない。一生。」となり、帰らない事にした。実家へは。

電話を切って、いや、電話のやり取りの最中から母の墓参りについては100%父親は関係ない。とこちらもそれならそれでとそういう感情がわき、墓参りに実家は関係ない。私は古として、いや娘(むすめ)として母の墓参りをしよう。と頑なに拳をあげた。

命日の前日、なんて悲しい墓参りだ。とメソメソしてても、当日朝は一番のこまちに乗らなくてはいけなかったので泣いている場合ではない。と早起きして新幹線で秋田駅へ。そこから乗り継いで、乗り継いで実家の地元駅へ。

新幹線が東北に入るとチラホラと雪が見られたが、田沢湖、角館、大曲の辺りは4月だったが遠慮なく真っ白な雪景色だった。冬だった。
北へ向かっていると実感したが、地元の天気はかんかん照りで痛い位の日差しだった。

お寺は駅を出て右。実家は左。
私は左へは見向きもせず、右へ進んだ。
内緒の墓参り。誰かに見つかったら小さな町なのですぐ父の耳に入ってしまう。
駅に降りた瞬間から緊張の糸はピンと張り詰め、すれ違う人、すれ違う車、私はこの土地とはなあんの関係もない者です。見るんじゃあない。話しかけるんじゃあない。とバリアをはったまま10分程歩き、うまいことお寺へ着いた。
お寺へ着くと、なんと葬式だった。故人の名前を見ると町ではメジャーな人で、あの方が亡くなったのか。という時間の流れと、お寺に町中の人が集まっているであろう風習に父も参列の可能性がある事を思った。父が参列していなくても、知り合いばかりがいる空間である事は間違いない。バレるかも。。。
あまり人とすれ違わなかったのは皆ここに集まって来ていたからなのかも知れない。
日帰りで東京へ戻るのであまり時間はない。
今、お寺の中でお経を唱えているので外のお墓では誰にも会わないだろうが、中にも仏壇がある。そこへ行くには人がぎっしりいる本堂を通らなければならない。

まずは外の骨が埋まっているお墓。
父が墓を拭いたのだろう。雑巾を持ち帰るのを忘れたらしく、お墓の片隅に置かれていた。
綺麗なお花を供えてくれていた。
既にこんもりとある線香の灰をよせて、自分も線香とろうそくに火をつけた。母さん、命日だなあ。お参りに来たよ。と手を合わせる。墓の中には育ててくれたおばあちゃんと私が生まれる前に亡くなってしまっていたおじいちゃんもいる。2人にもご挨拶。伊藤は母の姓。兄も姉もいたが末っ子だった母が父を婿に貰い伊藤の姓を継いだ。母は気質的にも長男だった。
次は人がぎっしりいる本堂を通って中の仏壇へ。
神様、仏様、誰も私の事が見えませんように。
お坊さんがお経をあげる中、邪魔にならない様に、後ろの壁となるべく同じ色になる様に祈りながら、誰とも目を合わさず仏壇までたどり着いた。帰りも同じ道を通る。命日だな。お参りに来たよ。というメッセージは、どうか誰にもバレずに帰られます様に。と本末転倒な願い事にかわっていた。
でも、集まっている人々が老人ばかりなので、色々な鋭さがはたらいてる様子もなく、あまり心配する事もなかったようだ。

とはいえ、忍びの身。本堂を抜き足差し足で戻り、またしばらく来られないから、もう一度、外のお墓へ。父の残した雑巾も回収しないといけない。別に何をする訳でもなく、行く所もないし、暫く墓の前へいた。
外なら誰にも見つからないだろう。と、少し長く居過ぎたようだ。本堂から人が出てきた。お経が終わったんだね。人生が終わり、お経も終わり、人が外へ出始めた。
ヤバイ。知り合いがゾロゾロ出てくる。不自然にサササッと素早い動きで雑巾と共にお寺を後にした。不自然でもいい、私である事がバレなければいいんだ。
さっき下った坂を上る。
あっという間の里帰りだった。駅に着くと次の汽車がくるのは一時間後。待つしかない。

実家へ帰る時、生まれてから実家での生活。いつも寂しさ悲しさがあった。
三つ子の魂百まで。百までの魂はここで決まった。暗くて子供らしくない。と言われた事もあった。

人の気も知らず、かんかん照り。


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長い文なのでこんなの ↑ 入れてみた。



つい最近、新宿地下鉄のホームの壁に流れた動画で、お笑い芸人の旅番組だろうか?そういう感じのCMがあった。そこに高校の時、毎日足になってくれていた一両で走る汽車が映し出された。行きの墓参りでは最後に乗った汽車。帰りの時は最初に乗った汽車。あんな田舎にテレビがきたのか。閉鎖的で暗いイメージしかないのは自分に問題があるからか。
映像は田舎のほのぼのさを映し出している。それが羨ましくもあり、信じられない。と思った。思い出していた。

長くなってきた。暗くもなってきた。
もう少しいいだろうか。

実家へ帰省する時はいつも東京土産を準備するが今回はいらない。東京へ戻る時はお土産を買う。
ババヘラ』という、夏になると道端で売られるアイスの味のスナック菓子を買ってみた。

『ババ』はおばあちゃんの意。大体そうだろうと察しのいい人は思っちゃう。でも『ババア』と言ってはいけない。それとは意味が違ってくる『クソババア』とは言っても『クソババ』とは言わない。悪口の要素はなく、おじさんやおばさんの流れで『ババ』があるのだと思う。クソババアという気持ちを伝えるには『クソバンバ』となる。憎しみは『ン』に込める。

ババアなら私でも言われる可能性もあるし、実際言われた事もあるが、『ババ』は私ごときではまだ青く、まだ呼ばれない。

秋田弁と言ってもやっぱりその地域の特色がある。
自分がまだ小学一年とか二年位の時、少し離れた高校に入学の決まった近所のお兄さんが、入学式から帰って来たら、その高校の地域の言葉を喋っていた。多感な高校生は吸収力が抜群である。その高校の地域は語尾に『ぜ』を付ける。
『入学式さ行てきたぜ。』。これだと普通に聞こえるか?例えば、そんな赤い顔をしてどうした?に対して『風邪。』と答えるのが正解だった場合、その地域では『風邪ぜ。』が正解となる。『ぜ』は必要なのか?蛇足ではないか?『ぜ』を付けたいなら『風邪』と『ぜ』の間に『だ』を入れるべきではないか?そう思う方もいるかもしれない。
なぜ、『風邪。』だけでは駄目なのか。それの理由は『ぜ』を付けずには居られない。ただそれだけの理由しかない人間が秋田にはいる。
私は川崎から疎開してきたおばあちゃんに育てられたので、おばあちゃんしか喋り相手がいなかった時は標準語しか喋らなかった。
保育園に入るか入らないかの時、父の実家に泊まりに行った際、父の姪っ子家族が『ぜ』の地域に住んでいてそこから来た自分より小さな女の子が『寝るぜ。』と言っていて怖くなったのを覚えている。
そんな乱暴は言葉をこの人は。。。と。
数日『ぜ』の子と父の実家で過ごしたが、この人は怖いのではない。そう言わないといられない人なんだ。と分かるのには2~3回じゃんけんをしたら解せた。
この時予め『ぜ』をなんにでも付ける人達がいる事を学習していたので、入学式帰りのお兄さんの言葉の様子がいつもと違っていても、あ〜、あの地域に行ったのか。とすぐに納得をした。

『ババ』は秋田全体に広がるメジャーな方言ではないだろうか。
私にも「ババ」と呼べる近所のおばあちゃんがいたが、誰でも彼でもおばあちゃんを見つけたら「ババ」と呼んで良い訳ではない。親しくもないのにそんな事を言ったらセクハラに値するかもしれない。

突然だが、今迄の人生を振り返ってみる。最大身長171cmだったが、現在169cmと縮んでしまった。でもまあまあ大きい方だと思う。身長ではなく肩幅や顔の大きさをデカいと指摘する失礼な人もいるが、傷つくのでやめてほしい。でも、変に気を遣われてそう思っているのに言えずにギクシャクとされるのも傷つく。
そんな事で傷ついた。気を遣われたらギクシャクとするとか、そんな事も分からなくなる。いや、もしかしたら悟ってしまいそんな小さな事にはビクともしない、このままのサイズでおばあちゃんになった時、私はジャイアントババとして第二の人生を歩めるのかも知れない。
桃を見ても葡萄を見てもスイカを見ても全てがApple。そして、目の前にネガティブが来たら全部!キック!チョップ!
暗く造られた人間は死ぬまでに変われるだろうか。

東京に戻り、すぐ会う人にはババヘラのお菓子を渡す。
母の命日に墓参りに帰ったから。と。ババヘラを知っている人もいたし、知らない人には説明した。
夏場、道端でババがヘラでアイスをすくって売るヤツをスナック菓子にしたヤツ。
炎天下での仕事だから老人虐待と言われたりする。と言うのも付け加える。
気を遣って父の事を聞いてくれる人もいたが、喧嘩をして実家へ帰っていない、会っていない事を告げると『またあ?』と呆れる人がいた。
父と喧嘩をしたというつまらない事を人様に話していた意識もなく、今のところスモールババ。

新潟出身だという人にババヘラを渡すと、ちゃんと『ババヘラ』と書いてあるのに「これは『チンチンアイス』だ。」と言う。
秋田の『ババ』に対して新潟の『チンチン』。名は体を表すのであれば、新潟では誰がどうやって売っているのだ。チンチンが。。。

夏が来る。
楽しみだ。



日本海沿いにも。