吉田さんは、髪が肩まで伸びたら結婚しようよ。と歌ったが、私は乳首が隠れる迄になったら、※ヘアドネーションをしようと思っていた(※18歳以下の小児がんや先天性の脱毛症、不慮の事故などで頭髪を失った子どものために、寄付された髪の毛でウィッグを作り無償で提供する活動)。1

乳首が髪の毛で隠れた。
毛根から出てきて、乳首に辿りつく迄、泣いた日も笑った日もあざ笑われた日もあったろう。
数年色んな事を一緒に過ごしたであろうに何も思い出さない。人様にお渡しするのだ。色んな思い出に浸るよりその位でいいだろう。

娘時代に比べてその距離は随分広がって目的地まで辿り着く時間は長くかかったと思う。だ毛ど、その伸びた分は人の役にたつのではないか?と珍しく明るく考えたりする。どうしたのだろう?私とした事が?ネガティブじゃない、本調子ではない。夏バテだろうか。

髪の毛は30cm以上必要と聞いた。
乳首へ着けばまず大丈夫だろうと思った。

乳首の記憶だが、自分で言うのも反感かうかもしれないが、10代後半、20代、30代と私はボインちゃんだった。
これは遺伝で、祖母は、志村けん氏が扮するおっぱいが床につきそうなおばあちゃんのあんな感じで母のボリュームも少しは遠慮したらどうだろうか?というほどの圧があった(ここに出てくるおばあちゃんと母は実の母娘です。母が伊藤毛後継で、同居していたのは本当の母。お姑さんと嫁という関係ではなく実の親子だった為、嫁姑問題は無い家でした)。
私もじきに母の様に世の中に威嚇を始め、おばあちゃんの様に床掃除には少し惜しい位の所迄たらちねるのかと思っていたが、40代になるとなんとおっぱいはなくなってしまった。遺伝は未定。
20代の頃は私のおっぱいに「伊藤さん」と話しかける男性もいた。OLだったのだが、仕事の話を私のおっぱいにしている。データをまとめて欲しいとか、別部署に届け物して欲しいとか。
セクハラという言葉はまだそんなに浸透していなかった。そしてそういう男性は本当に嫌だったし、デカパイはコンプレックスだった。
ただでさえガタイがいいのにデカパイのせいで益々太って見える事も恥ずかしかった。

デカパイ真っ只中。出遅れてしまったが、29歳の時に演劇学校に入り、全員年下の中でお芝居を一緒に作った。その中に二十歳そこそこだというのに50過ぎに見える男子に『大きいおっぱいが好きだ。一回でいいやらしてくれ。』と会っても言われたし電話もしょっちゅうきた。
私のコンプレックスはビーマイベイビーとまではイカなくとも一度。とそういう目的のあからさまに、お願いされていた。そっちが一回だけでいいから。と言って、でもこっちの欲望が逆転してまたアレしてくれと言ったらどうする?責任とれるか?どうする?若造。には見えないけど、若造。でもそれはもしかしたらこっちの仕事のしようかも知れないからそれはもう自分を守る為、大切にする為、突っ込まないに限る。そもそも突っ込めないのではないか?アハ。
初体験は15歳の時、ソープランドでだったという。15歳では入店できないだろう?と心配したが当時、30過ぎに見えたそうで問題なく事を終えたという。身分証提示の徹底とか、今よりかなりユルかったと思う。今回は15歳って、歳って何だろう?と考えてみる。15歳のヒントを求め、鈴木福君の年齢を調べてみた。彼は今年14歳。目安として30歳にはどうしても見えない。
年齢の枠を軽く超えてしまった彼はよく電話をよこしてはカップのサイズをしつこく聞いた。
それは嫌ではなかった。おっぱいに話しかけられるより清清しかった。正直である。という素直な心根は特殊な性癖を持つ変態な事を皆の前で公表させていたし、それについて皆も肯定、否定、驚き等、色々な反応を見せていたが、気まずくなったり、恐れたりマイナスな目線で見るクラスメイトはいなかったと思う。
ただ、10代でまだそういう経験がないまま、そんなもので?コトをする?という話を聞いてしまいショックを受ける子達は数人いた。
またその50過ぎに見える20歳の彼も大風呂敷なのか悪ノリなのか、本気なのか分からないがソレでないと興奮しない。と迄堂々とカミングアウトしていたのだ(どんな事かはナ・イ・シ・ョ)。
彼のやってきた事は私にはできないけれど、それがどんな桁外れな破廉恥な事だったとしてもピュアで正直な性欲にヨカったね。とその快楽を祝福したい気持ちだった。
彼は結局、半期で学校を辞めてしまった。その後、性へ向き合う姿勢と同じ真っ直ぐな情熱で大きな劇団に入った。芸術についてもとても貪欲なのは分かっていた一事が万事。いつも本気で向き合っている。
本人が演劇学校を辞めてから、また私が学校を卒業する位時間が経過してもその男子はしょちゅう電話をかけてきた。ヤリ取りは数年続いた(ヤッてはいないよ)。固定電話の時代。私は携帯電話を持つのがもの凄く遅かったが、そういう時代の流れにのらないつまらないデカパイにあきれもせず、ちゃんと在宅時間にかけてくる。電話の切り際「今度の○曜日何時にいる?」と聞いてくるこれは優しさではないかな?と分かってしまった。いずれ連絡は無くなる。結局、彼が私のおっぱいに触る日はヤって来なかった。1回目というのをとてもとても慎重にしてしまう傾向がある。一度何かあれば次はもうベテラン風情だが(?)、1回目の貞操はかなり固い。初めての男性(ひと)の時は、。。。はっ、失礼。
!若いのか若くないのかという見た目の、実は若手だった男子も触りたがってくれた、伊藤という人間がおっぱいだと認識する人もいた時間を経過し、おっぱいは今、どこかへ蒸発し、更に引力にひっぱられ、髪の毛の長さの測りにされるそんな存在になった。
伊藤はおっぱいではなく伊藤についたおっぱいである事、見せびらかせる大きさをなくし、おっぱいから人間が人格を取り戻した今、勝負しよう。
さあ、私に、私自身にコンタクトを!
そして今こそ乳首を隠そう。
全てにおいてトロく、ましてエッチでないときている。
乳首まで伸ばすには時間がかかった。
大抵、脇の下位迄伸びると石原良純氏位短くしたくなる。そして今まではそうして来た。
結婚の条件の方を過ぎ、石原良純氏に変身するチャンスを見送りし、ロマンスも抱えただろうか、どうにか乳首迄辿りついた。

往年の浜崎あゆみ女史の黒あゆ、白あゆのCDジャケットの顔を私か、私の父にして貰えたらイメージしやすいだろう。
どうぞ、イメージを。

どうぞ遠慮なく。

どうぞ。
























した?




まだなら。





































どうぞ。




ayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuayuareyou




明日にする?




そお?




出来ればこの状況を浜崎あゆみ女史のCDジャケットを借りず、生で見て貰いたかったけれど(誰に?)。なんだったらちょっとは写真に撮って貰いたいかなあ?とも、ほおんのすこうしだけ思ったりもしたけれど(だから誰にだ?)。
また次回乳首が隠れる頃にご縁があれば?
今回腰まで伸ばせば、もしかしたら。そういう?

でも今回はここで、切って貰おう。
ヘアドネーションの条件には間に合っている長さだ。

いよいよ、ヘアドネーション行くか。



???えええ?!まだ行ってなかったの?
この長いこと何の話をしていたの?ビーチクパーチク!

もうバテた?バテたでしょ?すみません。
私もね、この、暑さがね。

もうね、大家さんがエアコン換えてくれないんです。99年製ですよ。2000年問題で世の中が対策する前に出来たんですよ。20世紀の機械ですよ。冷えなくて臭い。そういう不具合出てきてるんですよ。だから対応頼むってお願いしたんですけどね。人が亡くなったというニュースの中、一週間以上ほったらかしにされて、いつまで連絡よこさないのか?と。もう我慢ならないと再度催促をして、こちらから連絡しなかったら、更に知らんぷりは続くのか?と本当に呆れた。暑さには強い方だし、そして平和主義を掲げている流石の私も頭ガンガンしてきて狂いだした。エアコンない部屋で一週間以上猛暑を過ごすと、ろれつが回らなくなる、真っ直ぐ歩けなくなる、ミルキーチョコレートが板チョコになる、起きていても意識がない、ご先祖供養がたりないんじゃないか?と宗教に勧誘される、顔色が悪い。と病院に行く事をすすめられる、死んだ母が夢に出てくる、とにかく暑い。自分の居場所に水たまりが毎日出来てる。もう内臓が、痛い。遅すぎる。そろそろ催促してもいいんじゃないか?と「どうなんですか?!」と連絡する。人が死ぬ猛暑ですよね。この猛暑ではもうエアコン贅沢品じゃないですよね?と言ってしまいそうになる。自分の遅い対応を認めて時折、伊藤さんという呼び掛けが伊藤様とクライアント扱いになる二人称の混在にこの人も実は暑さでやられたか。と思うと、自分より年上で辛いだろうな。と、多分エアコンガンガン効いてる部屋から電話してるんだろうけど、それを考えると腹は立つが、でも自分より人生長く息してきた人なのだからそれ位はハンデはあってもいいか。と、きっと大家さんもバテているんだろう中、こんな私に責められて。。。自分であなたって人は本当に信じられない!的な事を言いながら、何だか気の毒になってきた。再度連絡をしてから動いてくれているようだが結局、最初にエアコンの不具合を伝えてから一カ月が過ぎようとしている。工事日はまだ決まっていない。

猛暑の中、エアコンが一カ月無いと季節が変わり始め、エアコンがなくても過ごせるかもという日が増える。宗教の勧誘が諦める。ろれつは回復しない(暑さは関係あったか?)。早速バテてやつれた分のリバウンドが始まる。バッカスが板チョコになる。とにかく暑い。となっている。

実際の工事はいつになるか分からないが、催促してから大家さんは動いてくれ出した。伊藤様が気になる臭いの解決にプラズマクラスター付きにする。大型の10畳用(家は6畳一間です)にし、すぐ冷える様にする。日本で一番と言われているメーカー品にする。
私は特に臭いに厳しい訳ではない。エアコンが臭いを発するのは寿命だからだと思う。あまりにも強烈だった為、服にもその臭いがつきだした為、くさい事を伝えた。プラズマ何とかは付いてなくてもいい。またガミガミと喧嘩ごしで申し訳なかったが実はそんなに暑さに弱い訳ではない、部屋相応のエアコンで充分でそんな高級なものでなくても大丈夫な旨伝えても、大家さんはきかなかった。よくよく考えたら私に買ってくれるというか、私が退室した後も誰かがココに住む訳で部屋につけるエアコンなんだもんな。と炸裂しそうな自意識にストッピング!

謝られると途端に弱くなる。私の方こそ夏は暑いものと決まっているのは元々分かっていた筈だ。エアコンの匂いで服がオシッコ臭くなり、18度設定でもヌルい風しか出ない事なんて、今、こうやって生きていられるんだからそんな大家さんに詰め寄る事でもなかったのではないか。エアコンが贅沢品ではないなんて思うのならじゃあ、自分で買えるのか?エアコンが出来た99年と言えば私がデカパイざかりで演劇学校に入学した、思い出深い年でもあるのだから、そんなに99年製だというのを悪く言うこともないんじゃないか?また世界滅亡と言われた不吉な預言が起きずめでたい年で99年は人類のメモリアルでもあったのではないか?言い過ぎたかな。と思ったり。アフロの稲垣えみ子さんは電気自体使わないんだから、そういう人も居る中、扇風機を使う自分は軟弱でさえあるのではないか。とか、何より母が夢に出てきてくれたのは、連日の信じられない汗で背中がミミズばれし(意外と皮膚は弱いのです)、熱い痒い痛いと涙が出てきていてそんな日々だからこそ、母が夢で背中を触ってくれたのだと思う。次の日から背中は何でもなくなった。不思議なのだけど場所は実家でお風呂から出ると母が背中を触った。自分は風呂から出た所だったので裸だったが母はどんぶぐを着ていたので夢の中では冬だと思う。滅多に夢になんて出て来ない母に会えたのだってエアコンが効かないお陰でだと思う。エアコンがきかない事はそんなに悪い事なのか?と自分の容量の小ささを反省する。そして大家さんとの電話を切る頃には、ヒステリックだった自分の発言に申し訳なく思い、また大家さんの申し訳なさも伝わり、何だか分かり合えた様な感動さえする気持ちで、感謝しか無くなっていた。

ああ、ああ!また訳の分からない話をしてしまった。
私はこれから帰ってお盆の送り火をしないといけないので(今、ネットカフェなの)、また続き、あ、この話は続けないけど、もしお嫌いでなかったら2でお会い致しましょう。
このお盆、ちょっと母のいたずらかというちょっとした意思表示もあり、話せる機会があったらそれも。聞きたくないか?ではそれは抜きで。
今日はこの辺で、ヘアドネーションの事、何も書けなかった。

2はパーマ屋さん入った所から書く。
すみませんでした。
有難うございました。

股っ!