終わった。終わった。すみません。熊本県の板倉家のお話。『Mother-river-Homing』と『Mother-river-Welcome』の二本立て公演、3/3(日)のお雛様に無事に打ち上がっております。大変遅くなりました。すみません。ご観劇頂きました皆々様、気にして頂きました皆々様、関係者の皆々様、有難う御座いました。その後、どうなの?!元気なの?!私はすこぶる元気!!

遅い。御免なさい。
ばふった日々でした。
『ばふ』は熊本の方言です。『わあっ!』とか『どんっ!』という意味らしいのだけれど。使い続けてるともうそれ以外言いようなくなってる。
ばふった。ばふった。ばふばふった。
有難う御座いました。
終わってしまえば夢だったのか?と。
笑ってしまいます。
いや、笑う所ではないですが、なんか笑ってしまいます。
あっと言う間に始まって終わってどんどん時が過ぎて行ぐ!
待って。
忘れる前に、覚えている事だけでも。
私の『ばふ』リーな日々を。記念に。振り返らせて。
昨年の天冲殺、大殺界を抜け出して初めての舞台でした。
泡みたいに弾けて消えたあの日々はやっぱり夢だったか?
夢を見ているような日々の間に幾つか用事が追いついていなかったみたい。
それは、これから追われて終わらせて行ぐ。行ぐぞ。

改めて稽古期間を振り返ってみると、インフルエンザが猛威を振るう時期と重なっていたので、その事が頭から離れなかったところでありました。今、季節は巡りティッシュを手放せない。そんなところです。
しかし、今冬のインフルエンザの悪評たるや。聞いた?
高熱の出るA型は、去年迄は一回やったらもうやらない。という武士の様な(?)いさぎよさで去って行ったけれど、今冬のは一回やってももう一回やる可能性があるっていうものだから、しつこいと嫌われるよ。と機会があったら言ってやろうと思って居ました。じゃあ、しつこくなかったら嫌われないか?と自分の胸に手を当てて聞いてみると、やっぱり好きにはなれないという本心がのぞかせます。一回でもアレなのに二回って。君って人は、二回も人々の生活と不安をおびやかし何が楽しい?またあ?と精神的に追い詰め、鼻に突っ込む屈辱的な棒を受け入れなくてはならない検査法に恐怖と憎悪を感じないとでも思っているのか?生活に支障をきたすほどの休みを有し、もしこれが本番だったらシャレにならないどころか、シャレにならないんだぞ。うまくいえないがとにかくそういうことでとにかく不快感の。。。とこちらもかなりの粘着質に責めたろか?!おおいっ?!?!ぅおおおおぅおおおおいっっ?!?!
意識しないように、意識しないように、とそれが意識のし始めではないか?と意識しまくりつつ、口には出さずとも、もう始終インフルエンザにかからないように。と人の話もうわの空でそればかりを、そればっかりを気にしていました。まして先輩の話では二度あることは三度あるってもいうものだから。もう本当にどうしよう。と。
そして、案ずるより生むが易し。の格言が、考えるな!やってみろ!ということであれば、やっぱりやってみるしかないんじゃないか?と。ひらめけば、あとはもう。やってやろうじゃないかっ!!ウイルス来いやっ!!と熱くなります。
ああ?!発熱か?!来たのかっ?!おおっ!来いやあっ!!
そんな風に強がってみても、絶対に嫌っ!電車で一人になると思考回路は逃げ場を無くしそんな風に叫んでいたりも数回ありました。
何が嫌か?実はインフルエンザにかかったら?という不安で台詞を覚えらず、そのまま舞台に立つ恐怖、そしてインフルエンザで舞台に立てない恐怖。どちらの恐怖も嫌なんです。
でも前者ってお前のサジ加減だろう?バカヤロウ!
すみません。

そうなんだけどやっぱり本番まで3週間をきると、本番を無事に迎えるにはいつやるの?今でしょ。と。訳知り顔に拍車がかかります。
台詞も覚えないで。。。
そんな心配ばかりしていただなんて今では笑い話です(誰も笑わないし、多分。怒られる)。
制作さんへも相談をしたり。本番に間に合わせるには今しかないのではないか?と。
私の台詞は本番まで間に合うのか?それも聞きたかったけれど。。。聞くんじゃない。バカヤロウ!
インフルエンザ。そう書くと、最後の3文字のエンザが円座となり、スパイゲームを思い出させます(詳細は2つ前のブログを読んで欲しい。もし、宜しければ)。
誰かが咳をすると、とうとう、かかってしまったのか。。。と、インフル円座が丸くおさまらないのは本当に見つけたいのはスパイではなく感染者だからではないでしょうか。
風邪は誰かにうつすと治る。とまことしやかに伝えられ少女漫画などでは欲望を病気の弱みに付け込んでそういうことをする異性の斜めから来る攻めによろこびを感じている様は羨ましい限りではありますが、インフルエンザの場合、どうでしょう。ボクに(私に)うつして治しなよ。と言えますか?
私ならこの円座では言える。出来る。少女漫画の域を超えると熟女漫画になるのか?アダルト漫画となるのか?そうなると、なんか主旨って何だっけ?ともなるのだけれど、とにかく私は出来る。うつして治して頂戴。
結局、誰かが欠けたら実現できなかった愛おしい舞台だったと熱くなります。
とうとう発熱か?!おおうっ!来いやあっ!!

そして今回の公演準備で、はじめっから気づいたのは目が悪くなっている。ということでした。
『Mother-river-Homing』は4回目の公演で、初演が7年前。その時と同じ距離でやりとりしているのに、何もかもぼやけている。
日本人ならばぼやかしてることこそ美学なのだ。と言っても、もう、耳も遠くなっているし、駄目出し(演技の注意点)で、名前を呼ばれても『えっ?私に言っているの?』と目が合いません。まさにこれがお目でたいヤツでしょうか?
え?今ダメだったの私なの?コノ人じゃない?と隣の演者になすりつけます。7年経つと図々しくなっていることにびっくりです。
もう怖いものは自分の老いだけです。
謙虚でなくては。と思っても、『それはやらないで。』と言われた事を自分としてはどうしてもやりたくて気づかないふりでやったりとかすると『ソレこの前、やめろって言われたでしょ。』と演劇を真面目にやっている共演者に言われる。『ああ、そうだっけ?』とこの他人事のようなオトボケも自分が見てきた先輩達に寄っています。
先輩。やっぱり、長年おまんま食うとこうなるんだね。頑固とかワガママとかそう言われて、ああ、どうせ悪いのはアタシだよ!と切れかねない。そんな風に歳を重ねてしまったようです。
客だし(公演後、お客様を送り出す時)を考えてみるとどうでしょう。この時も誰だか分からず、他人行儀にお話していて暫くして、ああ!お前かっ?!と失礼したり。
ああ、お前かっ?!という気づき方も失礼ではあるのですが。再会しているにも関わらず再会の喜びまで少し時間がかかります。そういえば好物は一番最後に食べる派なのだけど?そういうのって関係あるのでしょうか?でもそういう所は別にいいと思う。ね?
せっかく話かけてくれても、無愛想にしていたり、いつもと様子が違ったら誰だか認識せず話している可能性があるので、名乗って下さい。きっと私はあなたに会いたかったに違いないんだから。
気付くと抱きつくという甘えん坊な所もあるのでよろしくね。受け止めてね。

また、後悔しているのは、稽古では好きなタイプを聞かれたのですが。雑談ではなく、ちゃんと稽古の一環で(詳細はひとつ前のブログに書きました。もし宜しければ読んで下さい)。
全員を集めて好きなタイプを教えて下さい。と。10個言って下さい。と、作・演出の田上君が言うのです。
本気なんだ。この人。と、こっちも真剣に考えます。
この度は自分の不出来さは棚に上げて発表してもよい会なので、私の劣性は見ないで聞いてほしい。
私の10個は。
真面目、マメ、無臭、高収入、健康、優しいこと、家庭優先(いつも昌子のために)、地味、無口、外国語が堪能。
の10個。しかし、突然の事で時間がなかった。相手に条件をつけるなんてそんな贅沢な立場になったことがなかったから、訂正したいと熱望している。
最後の外国語が堪能。これを別の条件に換えてもいいだろうか?
実は話す口調を優先したい。ゆっくり優しく話をしてくれる人。これだ。そして、何かを削って異国の人を入れたい。
前回のブログでは歩き方が静かな人。を10個に入れなかった事を悔やんだ内容にしたが、きっとゆっくり優しく話す人は歩き方も静かだと思う。
この方程式に狂いはないと思う。
ならば、静かに歩く人。という条件のままでもいいいのではないか?と思うだろう?そういう意見をハッキリ言う人がいたら、うるせー!黙れ!と言うだろう。方程式に狂いがないとは思うのだけれど、念の為、手がしびれるのは手が悪いのではなく首から来ている。そういう原因と結果に根本的なつながりがあるように、私だって静かに歩く人はゆっくり優しく話す人だよね。と釘をさしたいのだ。バカヤロウ!条件は10個迄なんだぞ。
初めは、真面目でマメであればもう、もう息していればなんでもいい。と思ったけれど、自分はなんと欲深いのだろうか。考えれば考えるほど、実は捨てがたいと思うキラメキは止まらない。
けれども、高収入を削ろう。真面目であれば、お金はきっとその人について行くと思う。
この方程式に狂いはないと思う。
なんだったら、私が稼いだっていい。むしろこちらで養いたい位だ。
真面目、マメ、無臭、異国の方、健康、優しいこと、家庭優先(いつも昌子のために)、地味、無口、ゆっくり優しく話してくれる人。
。。。んふふ、タイプだ。
外国語が堪能をゆっくり話してくれる人へ変更し、高収入を異国の方に変更し、外国語が堪能が消えて異国の方が増えているのはズルイだろうか?
そのズルイと思われるんじゃないか?と気づくのは賢いからではないだろうか?
そう私はズルい、だけじゃない。賢い。
ズルイ、賢い。つまりズル賢い。
ちょっと、しつこかったかな?しかし目には目をならば、来冬のインフルエンザA型へ対応するしつこさもなければ真実の健康は手に入らないだろう。
私は、ただ私は、インフルエンザに勝ちたいだけなのだ。スパイゲームにも!
しかも条件は10個迄との制限つきなのだ。
だから、真面目でマメで無臭で異国の方で健康で優しいことで家庭優先(いつも昌子のために)で地味で無口でゆっくり優しく話してくれる人。こんなノイローゼみたいになっちゃった私に癒しをっ!!
あなたとなら何のストレスもなく一緒に歩いて行けるだろう。
でも結局は色々並べてもその人である。その人として生きているという事が魅力なんだよねーー。って、オレ分かった風。










ナガクテゴメン、アトチョットツキアッテ、アトチョットツキアッテ、アトチョットツキアッテ、アトチョットツキアッテ、アトチョットツキアッテ、アトチョットツキアッテ、アトチョットツキアッテ、アトチュットツキアッテ、アトチョッチネツキアッテ、アトチョットツキアッテ










あああー、毎日遊んでた様な稽古場でした。実際、遊んでたか。
今思うことは。
まだ遊び足りない。許されるならもう少し。。。と。
ガハハ。

幻のように過ぎた贅沢なばふリーな日々は。色んな人を呼んでくれて。
熊本から田上君のお母さんも観に来てくれました。
作・演出の田上君のお母さん。7人兄弟の末っ子。登場人物名でいうと、由美。
アフタートークにも登場して。
『Mother-river-Homing』は田上君のお母さんの兄弟が盗まれて、それでそれをモデルにお話が出来たのですが、その時の事を涙しながら話してくれました。
作者の田上君からこんな事があった。あんな事があった。と聞いてはいたのだけれど、お母さんの説得力が心を奪っていきました。
この話が本当だったのだと。初めて感じた様な気がします。
貴重な公演でした。
お母さん、とっても綺麗だった。田上君とそっくり。多分、私は田上君よりも田上ママの方に年が近い。
なんか分からないけれど、田上ママに会い、気合が入りました。
愛裸舞優夜露死苦。だ。
また会いたい。

今月初めに公演が終わり、今は桜が咲く程に時が進みました。
去年の今頃は桜が咲いていたのでしょうか。きっと咲いていたのだと思います。今年も咲いています。
全ての暗喩が『サクラサク。』となる春に!
『Mother-river-Homing』と『Mother-river-Welcome』の二本立て公演、3/3(日)のお雛様に無事に打ち上がっております。大変遅くなりました。すみません。ご観劇頂きました皆々様、気にして頂きました皆々様、関係者の皆々様、有難う御座いました。
その後、どうなの?!元気なの?!私は、花粉症で鼻真っ赤だけどすこぶる元気!!

有難う御座いました。

記念に記録:明日、新元号の発表です。