2020年明けましておめでとうございます。明けましてから随分経っての新年のご挨拶はとても恥ずかしいものがありますが、今迄それよりもっと恥ずかしい事をしてきたじゃないか。と振り返りますと、お、お、思い出しちゃっていてもたってもいられん。いやあ、お恥ずかしい限りです。そしてこんなにも時間が経ってしまっては誰も私の事など覚えていないかもしれん。今年も出遅れております。間に合うか間に合わないか、どっちでしょう。もうどっちでもいいでしょうか。今年初めてブログを書きます。子年。今年はチュー太郎。宜しくお願い致します。

2019年の思い出として、引越しの事も最後迄書けなかったし、田上豊君(田上パル主宰、キラリ富士見芸術監督)と愉快な仲間達との秋田演劇の旅;夏のこと、冬のこと、も書けなかった。
過去をキチンと整理出来ないでいては、未来予想図は描けない。
きっと何年経ってもこうして変わらぬ、変わらぬ部屋構えかもしれない。
実は、引っ越して一年経ちますがなんと、引っ越した時のままです。
この一年あっという間でした。
しかし、思いもよらない世の中になり、一年前が遠い昔の様にも感じます。
個人的にですが、昨年の今位に痛めた右手の治療をずっとしていてまだ本調子ではありません。
これはもはや持病と言うのかも知れません。家族が増えた感覚で大切にしていこうと思います。キーボードを打つのに少し負担がかかります。マウスの、チュー太郎のクリックがなかなかきつい時があります。
だから優しくしないといけないよ。
ペットボトルは開けてくれないと飲めない時があるよ。なんと、左手でも開けられる日、開けられない日があるよ。
日による。というムラがあっては、わがままボディと呼ばれてしまうのかも知れません。しかし、わがままが許されるのはジュリエットだけ。そういう引け目を感じるのは昭和生まれの性でしょうか。

昭和生まれの性を感じつつ、伸縮さえ思い通りにできないはざまでいっそのこと名前をジュリエットに変えてしまおうか?と、イラついて自らの右腕に嫌味を言ったり、そしてすぐに「ヒドイ!」と自分を非難し御免なさい。と謝ったり、挙動不審はとどまる所を知りません。
わがままジュリエットが悪いことではなく、それを発言した時の自分のイラつきに対してひどい。と思うのであり、嫌味を言う感情に対してひどいと気付いている。喜怒哀楽の人間だもの。私は私の心と体で生きている。自分を整理すると、冷たくなって動かない右腕も愛おしく共にあると感じます。意味わかる?私は、よく分からなくなってきた。
はっきりしているのは元気だということ。血の巡りが悪くあまり暑さを感じない時があり、周りの人の「あっついねえ!」に同調できない時があって、時々『ほおんと暑いっすねえ!』と暑くないのに嘘をついたりもしますがすこぶる元気だという事。
そして本日迄無事でいられていることに感謝です。

思えば今年初めはトイレットペーパーが姿を消し、マスクが幻となり。
スーパーの商品棚で、嘘だろ?。という光景を目の当たりにしました。
今、トイレットペーパーもマスクも普通に買えるようになって少したちますが、ジーンとします。
暫くこの気持ちは続くと思います。
ズラッとトイレットペーパーが並んでいるのを見ると感動します。この気持ちも暫く続くと思います(今、さっきの『ジーン』と同じ気持ちと思うけど、もう一回言わせて!)。
もしかしたら一生そう思うかもしれません。
トイレットペーパーの陳列を見ることが、趣味になり、癒しになり。シングルでもダブルでもいい。
ただそこにいてほしい。
トイレットペーパー、いっときピンチでした。
万事休すか。。。と思いました。そう感じたのは自分だけではないと思います。
私の知り合いの藤原さんもその一人でした。トイレットペーパーを複数持っているならひとつ譲ってくれないか。そんな連絡がありました。普段はそんな弱みを見せる人ではない。でも、もしかしたらこういった状況に陥ったことなどないのだから誰しもそんな弱みは見せた事はないのかもしれない。そのことで弱ったことなどなかったかも知れない。
藤原さんから連絡がきた時。手元には2つあって、今、ペーパーホルダーにかかっているのはもうじき終わる。と恐怖に震えている時でした。
藤原さんには手元にはない。と言ってしまえ。悪魔が囁く。でも嘘をつく思い切りもなく、どうしよう。と返信を遅らせる。ニュースではトイレットペーパーは生産されている。デマに惑わされるな。と言っているけれどこの数週間売っているお店を全く見ない。この1ロールが終わる頃にはいつも通りになっているかもしれないわよ。と天使っぽい何かが前向きっぽいような考えを提供する(一体、誰だっ?!)。
今、トイレットペーパーを譲れるか譲れないかで、これで、自分が死んだ後、天国へ行くのか地獄へ行くのかが決まるとすれば、絶対に地獄は嫌だ。
しかし、藤原さんに一つ渡したばっかりに自分の排泄が残りのぺーパーで賄えなかった場合、これも生き地獄だ。絶対に生き地獄は嫌だ。
どうする?死んで天国へ行くか、生きて地獄を味わうか。
トイレットペーパーがないと途端に弱まる。そんなことに気づいた2020年。
藤原さんが、私に声を掛けるとはこれは、そうとう大変。なこと。お渡し致します。と。そして五万円です。と続けてみると、それでもいい。分けて欲しい。と言うのです。これは、いい商売見つけたな。と。いやいや、これは、一刻を争う状況だな。と。明日迄待てるか聞いてみると、待てる。との事。藤原さんの我慢強さはこういう時に発揮される。次の日お渡ししましたが、藤原さんはきっちりした人で私の持っているトイレットペーパーの銘柄を聞き、12ロールで割って1円単位迄割り出し支払ってくれました。5万円。。。
ニュースでは相変わらずトイレットペーパーは生産されている。そう言ってはいても相変らず全く見ない日がずっとずうーっと続き、1回1回の排泄が罪悪感を生み出す。私は罪悪感を出している。
アイドルは排泄はしないもの。と聞いた事があるけれど(昭和の時代ですけれど)、さすがアイドル。と。自分がアイドルだったらこんな恐怖は味わうことはなかったのかもしれない。と庶民の宿命を全うするしかなかった。
今は幸せなことに普通にトイレットペーパーが買えるようになって本当にこんな有難いことはない。
藤原さんと私はそんな事があってからトイレットペーパー繋がりというか、トイレットペーパー仲間というか、そういう下の繋がりで妙に打ち解け、今ではあの時は焦った。という話になると戦友のような。よく頑張ったよ(何を?)。というお互いを褒めたたえる。そんな感じになりました。
トイレットペーパーがあることが幸せでトイレットペーパーが愛おしくて愛おしくて嬉しくて自分も商品棚に入りうずくまって囲まれたい気持ちになります。
これは少し変態かもしれません。そして本当にやってしまったら迷惑な話で、店側では水に流せない。と奥の部屋へと連れていかれることになるでしょう。
トイレットペーパー関連で2回目のピンチ。欲望を抑えつつまたトイレットペーパー売り場で眺めたいと思います。

またマスクについても全く見かけなくなりピンチでしたが、カラオケ仲間の安藤さんと元劇団員のヨネちゃんが手作りのマスクを送ってくれて、二人とも洗濯分も入れて送ってくれて、洗濯すればずっと使える利便性と可愛い布で作れば可愛い。という事に気づき。ずっと紙マスクでしたが、そうか、マスクは自由だ。とずっと使っていなかったハンケチで自分でも縫ってみました。
ミシンが無いので、わがままジュリエッ手でゆっくりチクチク、時々、チクチク嫌味言いながら。謝りながら。
時間はたっぷりあるので、逆に時間しかない状況なので、ひと針、ひと針。やってみたら不格好だけど縫えた。
そんな今年前側。

今年前側が終わって、中位。
6月の新月から満月に向かっている時、人生二度目のヘアドネーションをしました。
前回から1年と10カ月。
ヘアドネーション基準としている乳首まで髪の毛が差し掛かったためそろそろかな。と。
測って見ると30cm超えている(ヘアドネーションには30cm必要です)。
前回と同じパーマ屋さんに予約を。美容師さんは前回と同じ方をお願いして。
最初のヘアドネーションをキッカケに何度か整えて貰っていたので1年10カ月ぶりというわけではなかったけれど、媚びないでいてくれて事務的にも感じる普通っぽさが自分にはとても居やすく、好きでやっているのだろうけれど仕事をする。仕事としてする。姿勢が私は好きでずっと同じ美容師さんにお願いしているのです。
相変わらず雑誌はタブレットで自分の機械に対するスキルの成長のなさに毎回ビクつくけれど、今回は待ち時間もさほど無くヨカッタア(ご興味御座いましたら、前回の待ち時間の様子は2018年の8月のブログをお読み下さい)。
髪の長さをはかって貰うと切りしろがあるので、ちょっと刈り上げた。遅すぎたワカメちゃん。そんな感じになって店を出た。
自分に今、必要なのは本家同様、パンチラではないだろうか。いや、パンチラではない。答えはすぐ出て帰宅する。
現時点で刈り上げの面影はない位まで伸びた。

一年の半分以上過ぎてからの更新で、時はさかのぼり正月の話となりますが、2020年が明けた時、特に正月の意識も無くトイレ掃除をしていました。トイレにはそれは、それは、綺麗な女神様がいると聞きましたが、とりあえず、トイレで人を見かけるとすれば鏡に映った自分だけで特に綺麗でもなければまして女神でもない。現実は厳しい状況ですけれど、まあ、いいか。と思うのは、自分の事が自分で出来る。この幸福がある限り、トイレに現れるのがソイツだとしてもそれは、それでいい。
本当だな?
ほんと。
この時、掃除ブラシは左手で握っていましたが、最近は右手に握ることも増えました。
郷ひろみ氏は右効きだけれど、バランスをとるために左手でも何でもできるよう訓練し実際、色々出来ると言います。元々持って生まれた器用な気質もあるだろうけど、やっぱりすげえな。と思います。
バランスをとるため。という郷氏の動機と、右手が使えないからというまあちゃん(自分のことをそんな風に呼んでみました)都合での左手での作業であれば、絶対、後者の私の方が必要に迫られているのに、それにも関わらず、この一年、左手でできないことはできないまま。
でも、それでもいい。
逆に何でも左手でできるようになってしまうと、自分の『右』『左』の基準が、箸を持つのが『右』お茶碗が『左』と、ジェスチャーと少し考える時間が必要なので、ただでさえ混乱しているから色々できてしまうと本当に右、左が分からなくなってしまう。という能力の都合もはたらいているのやも知れないよねー。

左手がうまく使えない、アイドルになれない、でもジュリエットかも知れない気質と共に残りのチュー太郎の年も宜しくお願い致します。
今後の未来予想図Ⅱは。。。