今年も全裸の季節がやって来た。もう電気毛布などいらない。いや、時々はまだ要る。そんな微妙な季節か。そして電車で近くに乗り合わせたり、道ですれ違ったり、そんなご縁のあった方々に、この生乾きの臭いはあなたかもしれないし、実は私かもしれない。そんな前世でも同じ関係だったかも知れない輪廻転生を匂わせる懐かしさに心が震える。臭い。俺があいつであいつが俺で。のような。そうでもないような。そんな季節か。家に着いたらまず脱ごう。生乾きの臭いはしない。そんな自分になろう。誰かが来ても居留守を使う。そんな時を過ごそう。

玉ねぎが高くてびびっている。これでは玉ねぎではなく高ねぎだ。
でも高ねぎだけではなく全体的に高くなってしまっている。パンも。行きつけの、クレープも(可愛いでしょ?どう?)。
そして光熱費も高くて使いながら悲しい気持ちになる。なんとも高熱費だ。
大金持ちはこんな気持ちにならないのか。毎日高ねぎ、食べているのか。煮るか。焼くか。揚げるか。
そんな。。。生か?
光熱費かからないじゃないか。
光熱費をケチっている訳ではないないだろう。元々、光熱費の出費について悲しい。などの発想すらなく心穏やか豊かに過ごしているんだろう?大金持ちって余裕なんでしょ。

やるじゃん。

私だってその気になれば。。。

五千万円くれる。という人がいる。
メアドを教えた覚えのない知らない人だけど。知り合いか、知り合いでないか、なんてそんな小さな事はどうでもいい。その人が五千万円くれるかくれないか。そこではないか。
五千万円。それだけあれば解決する事もあるが、解決しない事もあるのには驚きだ。
いや、でも解決するかもな。まずは貰ってみてだな。
お金については、大声で叫びたくなる程不安にかられる事があるが、電車で乗り合わせた70代だと思うご婦人二人の会話が入ってきたのだが、ヨーグルトの上の水を捨てようとしたら、、、とお一人が言うと、聞いていたご婦人が、それは栄養だから捨てちゃダメよ。と話を食った。知ってるけどいいのよお。とヨーグルトの上の水を栄養あろうが無かろうが邪魔者は消す。その頑なまでの強さは、スナイパの責任感にも似ていないか。栄養は別から取る主義か、どこから取るんだ。もう少し聞いてみよう。栄養は別から取る主義のご婦人は、その水をゴミ箱に捨てに行ったらヨーグルトも全部捨てちゃった。と続けた。流石。本気で栄養は他から取る気のようだ。私とは住む世界が違う。
話は食われ、ヨーグルトは食えず。今のところ何も食べられてない様だが、人の心配をしている場合ではない。話は聞かせて貰った。そこで今自分が思う事は、このご婦人達と同じ年になった時、ヨーグルトを買える生活をしているのか?という事だ。
なんか、買えなさそうな気がする。
どうする。どうにかなるのか。どうにもならないか。どうにもならないとはどういうことだ。
考えても仕方がない。
考えるな。感じろ。
そうだ。感じてみよう。
感じる。
ヨーグルトを買えない70代の自分を。




























 




やってみてはっきり言える事は、やるんじゃなかった。という事だ。
あと1秒、いや0.5秒、ハッとするのが遅かったら大声を出していた。













doushiyou・doushiyou・doushiyou・doushiyou・doushiyou・doushiyou・doushiyou・doushiyou ・doushiyou・ディオーユーエスエイチアイワイオユー、どうしよう。













仮に五千万円をメールくれた人から貰えたとして、そうしたら私は医者に行きたいのだが。何科かというと耳鼻科になる。
実は電気毛布をつけると鼻穴全部がかさぶたになるんだ。前回の冬はなかったのだが、今回の冬からそうなってしまった。鼻穴にかさぶたが出来るという老化があるのだろうか。
電気毛布初日の朝、いってえ!と叫んだ。心で。あまり、私は喋らない。思っても多分トロくてだと思うが、言葉に出来ない。かと言って、小田和正でもない。特に叫び声は近所迷惑なので気を付けなければならない。近所に住む異国人は夜中でも関係なく思いのまま叫んでいるが、やめてほしい。同じ階の階段脇の部屋の奥さんも夜中でも日中でもいつでも大声で叫ぶ。夫婦喧嘩の際には耳の遠い私にも籍を抜く、抜かない。の、どちらなのか?確率50%である旨の叫び声が届いている。関西弁でまくしたてているが、いい加減にしなさい。とビートきよし氏でもはなかなかオチはつかないのかも知れない。
電気毛布初日の朝、眠りから目覚めた時、今日からまた何か新しい持病が増えたのかと不安になった。鼻穴に針が刺さった様な痛みだった。悲しい!誰かに刺された。と冬の朝は被害妄想に拍車がかかる。元々血の巡りの関係だと思うがいつでも寒い。コンビニでおにぎりを一つしか買わない場合でも温めて貰う。実はヨーグルトの冷たいのが嫌で温めた事がある。結論は折角のものを台無しにしてしまったのだが、本当に御免なさいなのだが、もしかしたら70代になった時、あの時のヨーグルトさえ恋しい。と思うかもしれない。そして、人の物だが、ご婦人が捨ててしまったのを拾いに行けば良かった、と後悔するかもしれない。
段々悲しくなってきたが、とにかく基本寒い。外気が少し冷たくなると、自称の冬が始まる。きっと気象士の判断より私の冬は長い。早いものであと数ヶ月でかさぶたを作ってから一年が経つ。
それだけの時間が経つともはや与えられた持病となるのではないだろうか。
初め左の鼻穴全部がかさぶただったが、左の鼻穴の底をついたのか。少しずつ改善をした。それと同時に右の鼻穴にもかさぶたが出来た。左が少なくなった分が右に移行し結局同じかさぶた量となっている様だ。
鼻穴にかさぶたをつくる。そんな老化があるのだろうか。疑問を2回ぶつけて生きてきた年月を噛み締める。

歯も悪くなって来ている。

今の時期、電気毛布は毎日使う訳ではなく、起きると汗をかいている時もある位暖かくなった。五千万円あったらまず耳鼻科へ。あととても良い電気毛布を。鼻穴が乾燥しない。そんなやつを。お金という所で考えるとそんなに貰わなくてもいい。5万円貰えたら割と自信を持って電気屋さんへも鼻屋へも行けそうだ。ただ、お医者さん選びが下手くそで、自分に合わない所ばかりを選びどうしていいか分からない。というのがこれまでのパターンだ。
医者選びに関してはお金の有無に関係のない話になるのだが。
そういったセンス、勘がいまいち備わっていないのかもしれない。ずっとだから。
けれど、もしかしたら、コレはキテいるのでは。ないか。と思ってしまうこともある。
ここ最近は地元でしか売っていないと思っていたスープ付きのカップ焼きそばの事が頭をよぎる。カップ焼きそばの湯を捨てずにスープにするのは『焼きそばバゴーン』だけ。と懐かしんでいたが、この数十年気にしてなかったのに、一度思い出したらスープ付きのカップ焼きそばを東京でも見るようになり、米倉涼子氏に至ってはズバーンというラーメンのCMをしだし、響きや字のルックス的にもバゴーンの間違いではないか?と、バゴーンでしょ?と、自分の知識から抜け出せない自意識過剰になってしまったりして、お恥ずかしい話ではあるのだが。。。
そして近所のスーパーに行くと『焼きそば弁当』というスープ付きのカップ焼きそばが山積みになっていて、しかも色んな味があり、自分が気にしだしたら急にスープ付きのカップ焼きそばが私を追いかけて来始め、やっぱり私には何かそういった特別な力があるのか?と買い物かごをぶら下げたまま焼きそば弁当を目の前に自分の能力に放心状態になったが、もしかしたら全く別に何の能力もないのかもしれない。もしあったとしてもスープ付きのカップ焼きそばに追いかけられてるなんて、何の役にもたたない能力だが、一体何の話か分からなくなってしまったのだが、ひとまず来るもの拒まず、去る者追わず。と焼きそば弁当をおとなしく買ってみた、全種類は買わなかったけど、数種類買ってみた。
そう私は一消費者。
何の能力がなくても、お客様は神様だ。というのであれば、まあそうねえ。そうかもしれないわねえ。
けれどもし、貧乏神だとしたら、ディオーユーエスエイチアイワイオーユー。

どうしよう。