前回、地元で食べていた焼そばバゴーンは湯切りの湯でスープを作れる唯一無二のカップ焼きそば。と匂わせたが、更新翌日に新宿の100円の店へ行くと日清ソース焼そばが売ってあり『チキンコンソメスープ付き』と書いてあった。二度見をした。更には『これがあるからやめられない。』と書いてある。『湯切りで作る!あったかチキンスープ付いてます!』そうあるのだ。まさか。昨日更新した内容にズレだ。これは何とかしてスープついてない事に出来ないか?『チキンコンソメスープ付き』の後に『ではありません!』と書いたら大丈夫なのだろうか。

マジックとかで。
でも疲れ目のせいかも知れない。もう一度よく見てみよう。今度は心の目で。
目を閉じて見るんだ。見てみるんだ。でも見えないんだ。だから目を開けるんだ。そうすると書いてあるんだ。私にもわかりやすい日本語でスープ付きの旨書いてあるじゃないか。
『これがあるからやめられない。』とはリピーターが居るような気配すらする。湯切りの湯でスープが飲めるのは、なんと、バゴーンだけではなかったんだ。知らなかった。
何度も訪れていた100円店だがよりによって今回気付いた。
何ともタイムリーだ。タイムリー過ぎて自分には何か特別な力があるのではないかと恐ろしくなる。嗚呼!

税抜き価格100円で何を買いに行ったのか本来の目的はすっかり忘れ、他の物は何も買わず日清ソース焼きそばだけを消費税と共に支払い買って帰っていた。
カップ焼そばの湯切りの湯でスープを飲むのは30年以上ぶりだ。
30年以上たってもバゴーン時代時もそうだったがやっぱり、私は焼そばよりスープの方が好きだ。
ならばスープを単独で買えばいいと思う。でも、焼そばに付いているのが、よくて。なんか、いいんだ。カップ焼きそばの湯でふやかした湯で。というのが付加価値的なお得。という感じはしないか?エコロジー。と少し照れ臭くはならないか?SDGs。と誇らしくなったりはしないか?ふたつでひとつで、なんて素敵なんだ。
時に湯と一緒に出てくる麺のかけらもなんだか可愛い。湯切りの湯って幸せだ。
しかしそんな幸せも束の間。前日更新したばかりのブログが気になる。
でもそんなに読んでいる人もいないので、自分のメモ的なものだから、気にすることは自意識過剰の意味を持ち世の中的には何の意味もないかも知れない。
そう、私は無名である。私の代名詞が無名であるという事に属さない程、無名なのだからそういった事、気にする方が恥ずかしい事なのかも知れない。
そして誰が読んでくれているのかは大体分かっているので、カップ焼きそばでスープが作れるのはバゴーンだけではなかったよ。と個人的に連絡したっていい。新宿で日清から出てるヤツ売っていたよ。と、お裾分けをしたい位だ。買ってみたんだけど、私はやっぱりスープが好きだ。そこまで言えたら。もう普通に知人との会話だ。無口な私にしたら喋った方だ。
それにしても、それにしてもだ。同じ人間でありながら有名人とは、朝食をアップすると、いや、そんな理由がなくても、ただそこにいる自分をアップすると沢山リアクションがあるようだ。お出かけの洋服の写真を撮ると、それについて周りが大騒ぎだ。私など、和洋中の服を重ね着してモヒカンなのかアフロなのか五分刈りなのかどどめ色なのかなんなのか得体の知れないヘアスタイルで決まった時間に烏に少しだけ宙に浮かされながら公園を競歩していても誰も何も言わないだろう。もうほっといてくれ。というかほっとかれてる。人気がないのだ。
ショックだ。
そう思うと今年も終わった感じになる。
また来年、頑張りたいと思う。
今年は湯切りの湯を捨てまくろうと思っていたが。好物に出会ってしまったのだから捨てられそうにない。







湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯湯傷







ふやかした湯を捨てられそうにない。
この心理は荷物も捨てられない。事象にも比例する様だ。
終活だが、捨てられない。
このままでは終われない。ミニマミストなんて本当に実在するのだろうか。
都市伝説としか思えない。
物に囲まれて、欲に囲まれてこそ人間ではないか。それが無くなればもう神じゃないのか。
使わないじゃないか。
要らないじゃないか。
でも捨てられないじゃないか。
出してはしまい、しまっては出し。
時には出したら出しっぱなしなんて時だってある。にんげんだもの
逆にしまったらしまいっぱなしで何が入っているのかさっぱり分からない段ボールと一緒に何度引越しただろう。なんだか分からないが捨てられない。そしてその段ボールが引っ越しの度に重くなっている様に感じるのは。。。
。。。考えても仕方がない。運ぶしかないんだ。そこに段ボールがある限り。しまっただけ偉いじゃないか。よくやった。もし、興味本位で開けてしまったらもうしまわないかも知れないじゃあないか。なんでも、しまわなければ終いに出来ない。
何なのか分からないけど捨てるのが勿体無くて持って行く。だって私はにんげんなんだもの。
でもこの手元に置いておきたい。という物に対する欲求は、これは結構元気な証拠でもあると思う。
何もいらない。そう思った事、ない事はない。
ひとまず元気です。誰も気になどしてないけれど。
ひとまず空元気。
今年も4月迄なんとかきた。
良かった。
花粉症もちゃんと出ている。
良かった。
私の場合、耳にもくる。耳の奥なので喉、とも言えるかもしれない。耳にくるのはなかなか少数派で、え?と理解されなかったりする。
耳と喉と一緒になる所は今年もちゃんとかゆくなっている。
昨年出来た事が今年出来なくなっていたりするが、花粉症はいつも通り。出来ている。
良かった。
もう逆に出来すぎてる位で、いつも市販の薬にお世話になっているが、今年の耳は凄くて中が腫れる程の完成度だ。
良かった。
耳鼻科に行こうと思う。
耳の穴が狭くなっているんだもの。