焼きそばバゴーンを急に見かけなくなり販売終了となったか。と思っていたが地域限定の商品で私が売っている土地を離れた事が見かけなくなった原因だったのには気付くのが遅すぎた。バゴーン地区を離れてもう30年以上経っているじゃないか。すっかり熟女になってしまった。カップ麺はそんなには食べない方がいいかもしれない所まで来ている。今迄の欲望を挽回出来る歳ではなくなってしまった。これまでUFOを、ペヤングを知らなかった訳ではない。しかし湯切りの湯を捨てる事が。湯切りの湯を、捨ててしまうのが勿体なくて。操を守りここ迄きた。

オーバーに言ってしまった。カップ焼きそばのUFOもペヤングも一平ちゃんも食べた事がある。ただお湯を捨てる時の罪悪感は毎回感じていた。ステンレスがボンッと鳴ると湯切りの湯を捨てた事の批判をされたようで申し訳ない気持ちにもなった。ごめん。そう呟いたこともあった。そういった心情もあり、カップ焼きそばとはそんなに、あまり縁のない生活を送ってきた。
焼きそばバゴーンには粉末のスープがついていて湯切りの湯でそれを作って飲むことができた。バゴーンを食べる時はカップが必要になる。カップ焼きそばの初体験がバゴーンだったためお湯を捨てる文化に、麺をふやかしたら捨てるのか。と、湯切りの湯への執着とふやかしたらさよならの寂しさを感じていた。
湯切りの湯を捨てることに罪悪感があるならそのまま飲んだっていい。ぺこぱなら、励まし系の歌があるならそう歌うだろうか。
でもやっぱり湯切りの湯をそのまま飲む事は自分には出来はしない。私の歌はそう続いていく。だからどうしよう。そういう葛藤が正直な気持ちだ。
バゴーンを忘れられないなら他のカップ焼きそばに手を出すべきではない。目の前のカップ焼きそばを肯定できないのは自分の不誠実のせいではないか。と責めたこともあった。
ステンレスに責められることが怖くてフライパンで作る焼きそばばかりを食べていた時もあった。おいしかった。
けれど根っからの怠け者の焼きそば生活はいずれフライパンを置いてしまうことになる。野菜を入れないとフライパンで作っている醍醐味の一つが消えてしまう。だから野菜を切らなくてはいけない。作り終わったら洗い物が迫ってくる。そんな生活に疲れてしまった。
そんな中、バゴーンは販売終了になったのではなく地域限定のものだというお知らせが飛び込んできた。
バゴーン、売っているんだ。また湯切りの湯でスープが飲めるんだ。湯切りの湯の活用したい気持ちが報われるんだ。
そう思うと一気に緊張がほぐれぶわーっと安心した。UFOもペヤングも一平ちゃんも全て受け入れられる気がした。
新年を迎えると、新しいことに挑戦しようという気持ちは毎年ある。そして、なにか新しいことをするぞおっ!といつの間にか年末になっている。
今年はバゴーン情報のお陰で心機一転の気持ちをそのまま挑戦に変えることができそうだ。
やってやるぞ!今年は湯切りの湯を捨てまくるぞ。
近所の商店にカップ焼きそばを見に行った。
こんなに種類があるのか、辛いのがこんなに。獄激辛。恐ろしいパッケージもある。新年だ。新しい事をするにはふり幅を少し増やしたこういう挑戦も必要かもしれない。
『獄激辛』の種類は幾つがあったが、『獄激辛』だけではもう猶予がないな。とそのキャラクターも真っ赤になってこっちの言うことは聞いてくれそうにないので、その隣の獄激辛とはあるが、合わせて『麻婆』と書いてあるものを手に取った。『麻婆』が説明的で獄激辛だけのパッケージよりは聞く耳をもってくれそうな印象だった。






婆・婆・三・婆・婆・婆・婆・婆・婆・婆・婆・皮・婆・女・婆・婆






趣向『パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。』が1/14に配信が終わり全て終了となった。
ギャラも貰って本当に終わってしまった。
舞台公演は昨年12/26に幕となっていたが、配信が1/14迄あったので舞台は無くなってもどこかで誰かが出会ってくれているかもしれない事は、ソワソワせずには居られなかった。
公演は無事に終わらせてくれたけどおさまらないコロナでまた凄い勢いで感染者を増やしだして、オミクロンという言葉をよく聞くようになって、コロナ株の名前が公演に関わっていたので、複雑な気持ちでニュースを聞く日々を過ごしている。
公演の打ち上げもおあずけで。また会う約束はしたけれどいつになるのかは分からない。
世の中が大変で習慣も変わってきていて、単なる風邪だ。という人も出てきていて、行きつけのクリニックの医師の話も本当なのかどうなのか分からないけれど、現実は現実としてここにある。あってくれる。それが現実だ。
素敵な人達の話として、今回?前回?の座組は譲り合いの人ばかりが集まってきていて、日本譲り合い協会の代表ばかりが集まったような団体となり、ダチョウ倶楽部だったら永遠に決着がつかない。と焦ったりもしたが、ただ一つ譲れないモノがあるとすれば、譲り合い協会の代表というところで、どうぞと言われてもどうぞ、どうぞ。と、それを言われたらまた更にどうぞが重なって譲る人が左右、前後、上下にも、斜め上下に蠢いていて、もっとわがまま言いなさいよ。金八先生の様な口調になりそうだった。
そして、皆んな優しく褒め上手で、生まれてこんなに褒められたことがあったか?と言う位褒めるから今迄の自分が褒められなかったのはきっと周りに本質を見る力のある人が居なかったからなんだなあ。と全てを悟りそして許してあげようと思ったりもしたが公演が終わったら公演前の日々がああ、やっぱりこっちが常だったか。と過ぎていっていて目が覚めつつある。あれは夢か幻か。か?

上がったり下がったりなんだが笑える日々にKAKAZUちゃんから『お米美味しかった。』の連絡が来る。また夢の世界に引き戻されそうになる。稽古期間中に実家から届いた新米を皆に渡していたんだ。
そう言えば誰一人食べたよ。という話がなく自分も忘れていたけれどKAZUちゃん食べてくれたあ。ご飯と一緒におかずの写真もつけてくれた。嬉しい。

パンとごはんとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。そうしてみっかな。
ちなみに獄激辛の焼きそばは全然優しくなかった。『麻婆』と書いてあったって何の説明なのか全く分からなかった。一人きりで食べたのだが、ずうっと何かを喋り続けていた。食べ終わったって何かをずううっと喋り続けた。残すことはしたくなくて、豆腐を3丁入れて調整してみたのだが、3丁しかなかったから3丁だけしか入れなかったけど、3丁でおさまるどころの騒ぎではなかった。あと10丁位入れてもいい位の獄激辛だった。
辛く汗が出ているのに何ともいえない寒気におそわれ、これを食べた人は全員こうなるのか?ときっとそうだ!と自分を励まし、自分だけではない。と勝手に心強くなり、一体なんの時間だったのだろう。
新しい挑戦をして、無理はしない方がいい。という結論になった。
挑戦をして気付いた収穫は大きく有難い。
けれど何かを失ってしまった気にもなっている。
何かが、何だかは分からないけれど。
だけどひとまず、元気に過ごしている。





*********************





西村賢太氏の訃報を聞き思う事があった。
野田地図の『エッグ』の顔合わせの帰りに、深井順子と西田夏奈子と一緒に西村賢太氏が書いた小説『苦役列車』を新宿の映画館で観た。満席で3人一緒に座る事ができずにバラバラで座って観た。
素敵な作品に感謝している。思い出も作らせて貰って感謝している。
感謝。
安らかに。

感謝。感謝。
感謝。